承認欲求のルーツ
自己分析していて、ずっと疑問に思っていたこと。
「承認欲求はなぜあるのか」
それが今日なんとなくわかった気がした。
私は性格が悪いから「人の役に立ちたい」と言う人を見ると
(本当にそう思っているの?)と思ってしまう癖がある。
「人の役に立ちたい」という気持ちは結局自分が良く見られたいからだけなんじゃないかと思う。
そして、実際私が人に親切にする時は必ずそういう考えがどこかにある。
それは『承認欲求』だと思う。
人にはこの感情が必ずある。
だからこそ、単純に「人の役に立ちたいです」と言う人を私は信じられないし、
たぶん就活の面接官もそんなことを聞きたい訳ではない気がする。
では、なぜ『承認欲求』があるのか。
今日、本を読んでいたらこれが答えだと思うものがあった。
それは、
「生きるため」である。
人類の「言語」は動物のそれよりも高度であるが、これはなんと噂話のために大昔に発達したらしい。
社会的な動物の私たち人間は「天敵がいる!」だけではなく、誰が誰とどういう関係なのか、そして誰がずるをするのかを知る重要性があったらしい。
そういう噂話をして、ずるをする人やたかり屋から社会を守る働きをしていたのだとか。
要は、自分が村八分にされずに生き残るために承認欲求があるのだ、と私は思った。
きっとすでにDNAに刻み込まれたシステムの一部なのだと思うし、きっと今もまだ生き残るために必要なスキルなのだと思う。
人は一人では生きていくことはできないから、
組織の中に自分の居場所がないと不安になる。
その自分の居場所を作るためには人の役に立たなければならない。
だから、きっと就活で面接官が聞きたいことは、
「人の役に立ちたいです」というありきたりな回答ではなく
「御社で〇〇をして貢献します」だと思った。
もちろん、なぜそう思うのかはそれぞれ深く考えた方がいいと思うけれど。
自己分析は一生終わらないな。