生活感。

後で読み返すと恥ずかしくなるような日記です。

友人関係は自分の鏡 〜友人の結婚披露宴に参加して思ったこと〜

 

先日中学生時代の友人の結婚披露宴に出席した。

 

中学からはずっと会っていないはずなのに呼ばれ、さらに受付まで任されたので最初は驚いた。

 

友人の披露宴に参加すること自体初めてだし、受付も経験したことはない。

だからこそ、大学の友人や母親にどんな感じか聞いたりネットで調べたりしながら想像を膨らませ準備をしてきた。

 

しかし、その準備と膨らんだ想像は会場入りして早々に崩れることとなった。

 

新郎側の受付係から「ご記帳」という単語は一度も聞こえず、「ここに名前と住所書いて〜」という適当っぷり。

さらに一人は途中で煙草を吸いに出て行った。

 

そして出席者も適当な人が多かった。

ほとんどが袱紗を持たず、カバンからそのまま。コンビニで買った時のビニール袋から出す人もいたしご祝儀袋に新婦の名前を書いている人もいた。

 

この時点で今まで想像してたものは何だったのかと、身を引き締めていたものが一気に解けた。

 

新郎は40歳と新婦より14歳年上であることは事前に聞いていた。

さぞかし大人な人なんだろうと期待していたのに、受付の時点でどんな人なのか大体の想像はついてしまった。

 

簡単に言うと、新婚夫婦の住む世界と私の住む世界は違う、ということだ。

 

披露宴が始まってから実際に新郎を見て、ある意味想像通りの人だった。

中学生のノリがまだ続いているかのような40歳。

強面で調子よく友人とはしゃいでいるのに新婦の隣は恥ずかしいらしく、気を抜くとすぐどこかへ行ってしまう、頼りない人に見えた。

 

正直なぜ私の友人がこの人を選んだのかとがっかりした。

 

「披露宴に行くと幸せをもらってくるよ」とか「結婚したくなるよ」とか言われてウキウキしていたのに

そうは思えない披露宴が私の初めての経験になろうとは。

 

友人である新婦のドレス姿はとっても素敵で綺麗だったのに、全力で祝福できない私がいた。

 

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人は周りの環境に大きく左右されると言うけれど、それを私は中学生の頃には何となくわかっていたと思う。

 

そしてこの世界には大きく分けて、真面目に生きている人の世界といつまでもふざけている人の世界があって、

私は後者の世界に入ってしまうことをひどく恐れた。そしてそれが勉強を頑張る動機の一部にもなっていた。

 

学力がすべてではないけれど、悲しいかなある程度はそこで絞れてしまうのは事実である。

 

友人関係は自分の鏡であり、自分を変えたければ友人関係を変えることが一番なのかもしれない。

 

私も自分の友人関係を見直してみようと思う。

そんな披露宴であった。