女子大学院生の備忘録

実験、就活、恋愛。日々の記録。

今後「忙しい」とか「疲れた」を出来るだけ言わないようにします

 

「忙しい」とか「疲れた」という言葉は誰だって使ったことがあると思う。

 

でも、それを聞いて気分が良くなったり

「忙しいなんて(あるいは疲れるまで仕事するなんて)すごいな!」と尊敬したりする人はいるのだろうか。

 

職場の愚痴を言うのも同じことが言える。

 

愚痴を言う本人は相手に共感してもらうことでイライラをスッキリさせることができるけれど、

愚痴を言われた相手はどう思うだろうか。

 

私はついつい、疲れたとかイライラした話を親や彼氏に言ってしまうのだが、

反対に親や彼氏の疲れたとかイライラした話を全然聞くことができない人間だ。(ひどいやっちゃ)

毎度話を聞き流しながら私も同じことしてるな、やめなくちゃなと反省している。

 

それに、「忙しい」と口にすることは自分が能無しですよと自ら表現しているようで

自分に嫌気がさすのも私が言いたくない理由の一つだ。

 

「忙しい=時間をうまく使えてない」という公式が頭に浮かぶ。

(もちろんどんな状況でもそうとは言えないと思うが。)

 

 

4月から働く会社はお給料に見込み残業がたっぷり入っている。

 

月何時間残業させられるのか不安ではあるが、

「どれだけ残業しても給料は変わらない=仕事の効率のいい人が得」なのである。

 

それなら私は忙しいを言わない、爽やかな人でありたい。

(人間関係によっては愚痴は言うかもしれないけど。笑)

 

そして誰かの忙しい話と愚痴もちゃんと聞けるような心の豊かさを持ちたい。

 

 

大学に通うのも今週が最後になろうとしている。

これから会社で働くのが楽しみで仕方ない…!

修論発表の終わり

 

先日、修論発表がついに、終わりました。

 

まだ実験は残っているけれど、これで一区切り。

 

3年間使っていたデスクや実験机、相棒のピペットマン、

そしていつも面白い同期や後輩たちとお別れする日がグッと近づいた気がします。

 

2月いっぱいまでは実験で研究室にいるけど、

3月の上旬はほとんど予定がなく、どうしようか迷っています。

 

4月から「お金はあるけど時間のない」社会人になるということでたくさん遊びに出かけたいけど、

今は「お金がないけど時間はある」なんだよな〜😇笑

 

とりあえず、運動はしよう〜っと💪

 

 

 

そろそろブログの名前変えようかな🤔

 

理由をつけて環境を変えないことが逃げ

 

石の上に何年いたって石という言葉が耳に痛い。

 

慶應の研究室ガイダンスが心に刺さると話題を呼んでいる。

(研究をはじめる前に知っておいて欲しい7つのこと https://togetter.com/li/1460908

 

今の研究室に入ってから3年が経とうとしているが、

私は研究成果を形にできていないし、教授のやりたいことを代わりにやるただの兵隊さんになっていた。

 

実際に教授が兵隊さんになれと何度も私に言ったのを覚えている。

何だそれ、と怒りを覚えつつも抵抗すれば私の人格否定(人の命を救える(?)のになぜ共感しないのだ等)から始まり、機嫌が悪くなって面倒くさいことになった。

 

それにも関わらず、

私は教授のやりたい研究には私にはまだわからない希望があるのかもしれないという少しの期待と大きな思考停止をすることで毎日働いてしまった。

 

そして3年という月日はあっという間に過ぎていった。

 

 

今、私はとんでもない時間の無駄使いをしてしまったのではないかという不安に包まれている。

 

そしてあと1ヶ月で私はこの空間から抜け出せるという期待に胸を膨らませている。

 

 

でも、もしかして私は卒業しても兵隊さんなんじゃないかとも思う。

 

インプットばかりで自分で考えてアウトプットすることが苦手な私は

アウトプットをする経験をたくさん積まなくてはならない。

 

それを意識して社会人一年目を迎えられるか。

それが私の一番の課題だ。

 

 

だから、もしこれから入る会社が自分に合わなかったら、

「とりあえず」とか「面倒くさいから」とかの理由で同じ場所に何年もいるようなことはしないようにしたい。

 

環境を変えることは逃げじゃない。

 

ダメって言われるとやってみたくなるのはなぜか

 

誰しも親や先生、恋人に「〇〇したらダメだよ」「〇〇しないで」などと言われたことがあると思う。

 

そう言われると逆に〇〇に入る言葉を考えてしまうのは人間の性か。

私はそう言われる度に興味がダメと言われた方に向いてしまうタイプだった。

 

中学時代タブーのように扱われていた生理や性のことを一生懸命調べてみたり、

キャバ嬢のSNSを見てその生活を想像してみたり、

声をかけてくれた男性について行ってみたくなる。(怖くて一回もついて行ったことないけど)

 

振り返ってみたら私が興味を示すのは“性”に関わるものだった。

 

性に興味があるのは良いとして、なぜ私が自分でもダメだと思う方向を正当化して挑戦してみたくなるのか。

それは自分が興味を持つ領域の新しい知識が入るからだと自己分析した。

 

想像でしかなかった事を体験することで、具体的に自分が感じた感情を記憶できる。

そしてそれが人生の豊かさに繋がるような気がした。

 

病気だって恋愛だってなんだって、経験した人にしかわからないことがある。

 

私には想像力が乏しいから経験あるのみだ!と直感的に思ってしまう悪い癖だ。

 

今は彼氏が私の大事なブレーキになってくれている気がする。

 

自分自身が経験しなくても得られる知識は大いにある。

私はそういう方法で知識を増やそうと思う。

 

修論に追われてます。

 

2020年に入ってから修論を書き始め、

1月末(一応)の締め切りに向かって毎日、文章の順番とか地道な実験結果のまとめをやっています。

 

でも案外こんな風にパソコンに向かって文章を書いてる時間は嫌いじゃなくて、

むしろ実験をしてない方が精神状態が良いという笑

(実験はやる事がいっぱいなので合間を縫って修論を書いています)

 

たぶんそれは実験は研究室のためで、文章を書くのは自分のためだと思っているからなんですけど😇

 

就職を控えた今、卒業がゴールになると“研究室として”やらなければならないことがどうでもよくなってくる現象に名前をつけたい。(無責任でごめんなさい)

 

 

とにかく、週に一回は更新したかったブログが書けずにいます。

途中まで書いた下書きは何個かあるんですけど、最後まで書くことができず…

 

時間的な余裕はあるんですけど、

とりあえず今は私にとって一番大事な“卒業”のために修論に集中します!

 

少しアホな方が人生生きやすい説

 

以前同じサークルの同期だっためちゃくちゃ頭の良い男の子がツイッター

「死にたいけど死ねない」等のツイートを頻繁にしていて心が痛くなる。

 

きっとこの世界の矛盾や理不尽にとても敏感なのだと思う。

そしてツイッターで多くの人に発信しているのは孤独を感じているからだと予想する。

誰かに自分の存在に気付いてほしい、と訴えているように私には見える。

 

ただ、ツイッターでつぶやかれたその暗くて重い言葉に返信できる人は少ない。

 

 

彼と一緒にサークルで活動していた時は、彼は口達者でサークル内の流行語を次々と生み出し、複雑な問題の解決策もすぐに見つけられる頭が切れる人だった。

ただその反面、頭の切れない人に対する対応が厳しい時があった。私もしばしばその対応を受けた。

 

冷ややかな視線、嘲笑、吐き捨てられた正論。

 

思うに彼はその厳しい対応を彼自身にもしてしまっているのではないかと思う。

 

誰にだって自分の行動を後から考えてバカだなと思うことはあるし、

理不尽を目の当たりにすることもある。

 

そこで人一倍敏感な感性を持つ彼にとってこの世界は生きづらいものだろうなと想像する。

 

だけど、私はそんな完璧じゃない自分も完璧じゃない世界も許してあげたらいいのになと思う。

 

自分の行動、容姿、性格、全部ありのままを認めてあげてほしい。

理不尽な世界は私もちょっと許し難いけど。

何か失敗があっても、そういう所も含めて「私」だよな〜と軽く受け止められるアホさを持ってほしい。

 

きっと整形をすることや性格を枠にはめることは本当の解決にはならない。

 

 

今日も彼のツイッターは動きだす。

私は何もできずにそれを眺めている。

 

誰の意見にも負けない「自分」

 

私は基本的に自分に自信がない。

 

それは以前から分かっていたことで、自信がないからこそ出てくる感情や行動がいくつもある。

 

 

例えば、私は大勢の前に立つと萎縮してナヨナヨしてしまう。

ナヨナヨする方が恥ずかしいことは重々承知なのにきちんとできないのは、ありのままの自分が一番恥ずかしいと思うからだ。

 

そして自分の意見を持っていても簡単に他人の意見に流されてしまう。

自分の意見のどこかに絶対に間違いがあると思うせいで強く主張できず、八方美人になる。

 

そして、1ヶ月で別れた初めての彼氏は私に蛙化現象が起きたことで振ってしまった。

蛙化現象とは両想いになった途端、相手を気持ち悪い存在に感じてしまう現象のことだ。

私は相手のことを「私が好きな人」から「私なんかを好きになる人」に降格させてしまった。

 

 

自分に自信がないことにメリットを挙げるとしたら、

相当変な人を除いてどんな人であれ対応できるため人間関係で苦痛を感じることはないことだろうか。

 

でもそれって「自分」が無いことと同じだよな。

 

アンチを作ってでも突き通せる「自分」を持つ人に憧れる。

 

私にとっての「自分」とは何なのだろう。

それを見つけることが私の今後の大きな課題だと思う。