生活感。

後で読み返すと恥ずかしくなるような日記です。

Cohabitation Blue

 

引越しの日が近付いている。

 

荷造りと掃除を少しずつ進めているが、まだ実感が湧かない。

来月もその次の月も、まだこの家で生活しているような気がする。

 

明日はパートナーが私の家に挨拶にくる。

まだ実感が湧かない。

祖母が寿司を予約しても、リビングがいつもより綺麗になっていても

どこか他人事のように感じてしまう。

 

引越したい気持ちと、まだこのままでいたい気持ちの両方が私を引っ張り合っている。

 

家に祖母、母、妹、愛犬がいるこの環境から

パートナーと一緒に住むことで大変になることは、ほとんど増える一方だ。

 

金銭的負担はさる事ながら家事や慣れない二人暮らしの負担に、

果たして私がすぐに対応できるのか、大きな不安がある。

 

いつこの家から出ても、同じような不安を抱えることになるんだから、

それが今だったというだけで、気にしなくてもいいような気もする。

 

ただ、果たしてそれは本当に“今”だったのだろうか。

環境を変えることに不安を覚えるのは、本能的なものか。

 

 

高校生カップルの結婚、妊娠のLINEニュースが飛び込んできた時、

私はその歳で結婚と妊娠、出産を決意できるのかと、シンプルに感心した。

 

妊娠が発覚してから、色んな葛藤があっただろうと思う。

私だったら、真っ先に中絶という選択をするだろうとも思う。

 

それは私の不安と周囲の意見が、私の選択に大きな影響を与えるからである。

 

それは高校時代の私だけではなくて、今の私でもそうだ。

例えば今、私に妊娠が発覚したとして、出産を決意できる気がしない。

結婚だってできる気がしない。

同棲ですら不安を感じているのだから。

 

 

結婚してないけど、マリッジブルーってこんな感じなんだろうなと思う。

 

同棲の不安だから、Cohabitation Blueか。