生活感。

後で読み返すと恥ずかしくなるような日記です。

修論に追われてます。

 

2020年に入ってから修論を書き始め、

1月末(一応)の締め切りに向かって毎日、文章の順番とか地道な実験結果のまとめをやっています。

 

でも案外こんな風にパソコンに向かって文章を書いてる時間は嫌いじゃなくて、

むしろ実験をしてない方が精神状態が良いという笑

(実験はやる事がいっぱいなので合間を縫って修論を書いています)

 

たぶんそれは実験は研究室のためで、文章を書くのは自分のためだと思っているからなんですけど😇

 

就職を控えた今、卒業がゴールになると“研究室として”やらなければならないことがどうでもよくなってくる現象に名前をつけたい。(無責任でごめんなさい)

 

 

とにかく、週に一回は更新したかったブログが書けずにいます。

途中まで書いた下書きは何個かあるんですけど、最後まで書くことができず…

 

時間的な余裕はあるんですけど、

とりあえず今は私にとって一番大事な“卒業”のために修論に集中します!

 

少しアホな方が人生生きやすい説

 

以前同じサークルの同期だっためちゃくちゃ頭の良い男の子がツイッター

「死にたいけど死ねない」等のツイートを頻繁にしていて心が痛くなる。

 

きっとこの世界の矛盾や理不尽にとても敏感なのだと思う。

そしてツイッターで多くの人に発信しているのは孤独を感じているからだと予想する。

誰かに自分の存在に気付いてほしい、と訴えているように私には見える。

 

ただ、ツイッターでつぶやかれたその暗くて重い言葉に返信できる人は少ない。

 

 

彼と一緒にサークルで活動していた時は、彼は口達者でサークル内の流行語を次々と生み出し、複雑な問題の解決策もすぐに見つけられる頭が切れる人だった。

ただその反面、頭の切れない人に対する対応が厳しい時があった。私もしばしばその対応を受けた。

 

冷ややかな視線、嘲笑、吐き捨てられた正論。

 

思うに彼はその厳しい対応を彼自身にもしてしまっているのではないかと思う。

 

誰にだって自分の行動を後から考えてバカだなと思うことはあるし、

理不尽を目の当たりにすることもある。

 

そこで人一倍敏感な感性を持つ彼にとってこの世界は生きづらいものだろうなと想像する。

 

だけど、私はそんな完璧じゃない自分も完璧じゃない世界も許してあげたらいいのになと思う。

 

自分の行動、容姿、性格、全部ありのままを認めてあげてほしい。

理不尽な世界は私もちょっと許し難いけど。

何か失敗があっても、そういう所も含めて「私」だよな〜と軽く受け止められるアホさを持ってほしい。

 

きっと整形をすることや性格を枠にはめることは本当の解決にはならない。

 

 

今日も彼のツイッターは動きだす。

私は何もできずにそれを眺めている。

 

誰の意見にも負けない「自分」

 

私は基本的に自分に自信がない。

 

それは以前から分かっていたことで、自信がないからこそ出てくる感情や行動がいくつもある。

 

 

例えば、私は大勢の前に立つと萎縮してナヨナヨしてしまう。

ナヨナヨする方が恥ずかしいことは重々承知なのにきちんとできないのは、ありのままの自分が一番恥ずかしいと思うからだ。

 

そして自分の意見を持っていても簡単に他人の意見に流されてしまう。

自分の意見のどこかに絶対に間違いがあると思うせいで強く主張できず、八方美人になる。

 

そして、1ヶ月で別れた初めての彼氏は私に蛙化現象が起きたことで振ってしまった。

蛙化現象とは両想いになった途端、相手を気持ち悪い存在に感じてしまう現象のことだ。

私は相手のことを「私が好きな人」から「私なんかを好きになる人」に降格させてしまった。

 

 

自分に自信がないことにメリットを挙げるとしたら、

相当変な人を除いてどんな人であれ対応できるため人間関係で苦痛を感じることはないことだろうか。

 

でもそれって「自分」が無いことと同じだよな。

 

アンチを作ってでも突き通せる「自分」を持つ人に憧れる。

 

私にとっての「自分」とは何なのだろう。

それを見つけることが私の今後の大きな課題だと思う。

 

 

初めてのデイキャンプ🏕@ウェルキャンプ西丹沢

f:id:charucha:20191202093027j:image

 

結論から言います!

 

ウェルキャンプ西丹沢、リピートしたい!!

と、着いた瞬間から思いました!!笑

 

綺麗な山の景色と近くを流れる川

トイレもきれいで受付と売店も困らず、快適でした!

 

それと特に私の中でポイントが高かったのは、

水道からお湯が出る所🚰!笑

寒い中食器や道具の片付けをする時にお湯で洗えるのがありがたかった😭

 

季節は秋🍁、ということでどうしても紅葉を観ながらキャンプがしたかった私は

彼に車を運転してもらい、西丹沢に向かったけれど

本当に来てよかったと思いました!(彼は運転ありがとう🙏)

 

そして、実は初めての “デイ” キャンプ🏕

 

泊まりのキャンプと違って、テントやタープを建てなくても良い点が楽でよかったです◎

 

私の中のデイキャンプのハードルが下がりました^ ^

 

キャンプは3回目ですが、相変わらず忘れ物が多くて

木炭、着火剤、着火マン、割り箸を行く途中で購入💰笑

 

スキレットは持ってきたのにお鍋を持ってこなくてお湯を沸かせなかったり、

改善・工夫すること、たくさんあります💪😂

 

今度は「これを持っていけば大丈夫BOX」を作る予定です📦

 

f:id:charucha:20191202131213j:image

コールマンのホットサンドメーカーも新品で初の使用!

 

無難にハムチーズにしたけど、

これが、めちゃくちゃ美味しかった…😢

 

キャンプで食べるご飯は家で食べるのより3割り増しで美味しく感じます🤤

 

段々寒くなってきたから次キャンプに行けるのは来春かな🤔

 

次はどこへ行こう🏕♪

 

 

手柄横取り人間vsゆるゆるマイペース人間

 

自分が努力して積み上げてきたものを

最後に他の人に取られてしまうことはきっとどこの世界でもある話だと思う。

 

お腹の底から悔しさと怒りが込み上げる感覚。

そしてなぜそれを許してしまったのか、自分の無力さを痛感する。

 

私はたぶん、その対象になりやすい。

 

中学の部活と今の研究室で私はその対象になっている。

 

そんなことをされても強く主張できない私が悪い。

しかし、毎回私はその瞬間いきなり魂が抜けて俯瞰するように

「え、あの人そんな人間だったの、引く〜」

と冷静に判断してしまう。

 

なぜなら結局私が悪いのだと知っているからだ。

 

ゆるゆるとマイペースにやってたらガツガツしてる人に手柄を取られることだってあるよな。はぁ〜

 

そして時間が経って、強気が戻った私に悔しさと怒りが込み上げてくる。

あいつ、まじ許さん。とか言っちゃって。

 

でもその怒りもものの数分で鎮火し、

すぐに私のマイペースで平穏な日々が戻ってくる。

 

後でちょろっと、実はあれさ〜とか言って

影で分かってくれる人だけ分かってくれればいいよ。

 

とはいえ手柄って結構大事だけど。

会社に入ったらもっとしっかりしたいものだ。

 

友人関係は自分の鏡 〜友人の結婚披露宴に参加して思ったこと〜

 

先日中学生時代の友人の結婚披露宴に出席した。

 

中学からはずっと会っていないはずなのに呼ばれ、さらに受付まで任されたので最初は驚いた。

 

友人の披露宴に参加すること自体初めてだし、受付も経験したことはない。

だからこそ、大学の友人や母親にどんな感じか聞いたりネットで調べたりしながら想像を膨らませ準備をしてきた。

 

しかし、その準備と膨らんだ想像は会場入りして早々に崩れることとなった。

 

新郎側の受付係から「ご記帳」という単語は一度も聞こえず、「ここに名前と住所書いて〜」という適当っぷり。

さらに一人は途中で煙草を吸いに出て行った。

 

そして出席者も適当な人が多かった。

ほとんどが袱紗を持たず、カバンからそのまま。コンビニで買った時のビニール袋から出す人もいたしご祝儀袋に新婦の名前を書いている人もいた。

 

この時点で今まで想像してたものは何だったのかと、身を引き締めていたものが一気に解けた。

 

新郎は40歳と新婦より14歳年上であることは事前に聞いていた。

さぞかし大人な人なんだろうと期待していたのに、受付の時点でどんな人なのか大体の想像はついてしまった。

 

簡単に言うと、新婚夫婦の住む世界と私の住む世界は違う、ということだ。

 

披露宴が始まってから実際に新郎を見て、ある意味想像通りの人だった。

中学生のノリがまだ続いているかのような40歳。

強面で調子よく友人とはしゃいでいるのに新婦の隣は恥ずかしいらしく、気を抜くとすぐどこかへ行ってしまう、頼りない人に見えた。

 

正直なぜ私の友人がこの人を選んだのかとがっかりした。

 

「披露宴に行くと幸せをもらってくるよ」とか「結婚したくなるよ」とか言われてウキウキしていたのに

そうは思えない披露宴が私の初めての経験になろうとは。

 

友人である新婦のドレス姿はとっても素敵で綺麗だったのに、全力で祝福できない私がいた。

 

-----・・・・・----------・・・・・----------

 

人は周りの環境に大きく左右されると言うけれど、それを私は中学生の頃には何となくわかっていたと思う。

 

そしてこの世界には大きく分けて、真面目に生きている人の世界といつまでもふざけている人の世界があって、

私は後者の世界に入ってしまうことをひどく恐れた。そしてそれが勉強を頑張る動機の一部にもなっていた。

 

学力がすべてではないけれど、悲しいかなある程度はそこで絞れてしまうのは事実である。

 

友人関係は自分の鏡であり、自分を変えたければ友人関係を変えることが一番なのかもしれない。

 

私も自分の友人関係を見直してみようと思う。

そんな披露宴であった。

 

私なりの「やりたいことで生きていく」

 

最近、私がやりたいことはこれなんじゃないかと思うことがある。

 

それは高度な知識を使った情報に騙される人を減らすこと。

 

特に医療や美容で意味のない治療を高額で受けさせられてしまうような人に正しい情報を与えたい。

 

例えばコラーゲンは肌から入らないし、プラセンタは滅菌の過程でタンパク質が変性しているのに、大金をかけてしまう人。

がんになって藁をも掴む思いで効かない民間療法に時間とお金をかけてしまう人。

 

特に私の身近にいる人にはこんな風に騙されて欲しくないと思うから、私が知識を持って教えられる人になりたい。

 

そう考えて今の内定先(メディカルライター)を選んだ。

内定先には医療に関する情報をいくらでも得られる環境が整っている。

 

ただ、この気持ちが研究職で内定を貰えなかった原因にもなった。

 

研究に熱心になり、1つのことに集中して新しい原理を解明していくことは研究職に必要なスキルだ。そしてそういう人が研究職に選ばれる。

 

私は新しい原理を見つける研究に強い興味はあるけれど、本当のやりたいことが違うから熱心にはなれない。

 

教授にもこの前、「将来的に誰かの命を救うことができるかもしれない研究テーマに全力を出せないなら内定先を断ってしまえ」と言われた。

 

意味がわからなかった。

 

なぜ私は今の研究テーマにやる気が起きないのか、教授にはわからないだろう。

 

何年も科研費をもらえないほど成果のないこの研究室で、先の見えない研究テーマを任され、実験という作業をする毎日より、

私は最新の医療の幅広い情報を得てそれを誰かに伝える仕事がしたい。

 

そしてそれは高校時代から変わっていない。

 

なぜ私が医療に関わりたいと高校3年で考えてから医学部や看護学部に進学しなかったのか。

それは情報に騙されないためには、基本的な知識を得る必要があり、最も基本的な知識を得ることが出来るのは分子生物学だと思ったからだ。

 

まったく自分本位な理由で進学し、就職してしまったと思っている。

 

でも、これが私だ。

 

やりたいことで生きていく、とはこういうことかもしれない。