生活感。

後で読み返すと恥ずかしくなるような日記です。

好きなことだけで生きるのは大変

 

「好きなことで生きていく」

 

UUUMというYouTuber事務所のキャッチコピーはこれだ。

 

でも、果たしてどれくらいの人がやりたいことで生きていけるのだろう。

 

メンタリストのDaiGoのブログには

年収169万円のぎりぎり生計を立てられる人も含めて3%だと書かれていた。

https://daigoblog.jp/succeeded-youtuber/

 

別に私はYouTuberになりたいとは思わないけど

YouTuber≒自分の力でお金を稼げる人

とすると、

やりたいことだけやって勝手にお金が入ってくるなんていう考えは甘いんだと思う。

 

 

研究職の新卒採用ページを見ても、OG訪問をしても

研究内容について教えてくれる所なんてない。

ましてや所属する部署も場所も研修が終わるまでわからない。

 

だから理系の院生で研究職を目指す人は内定をもらっても不安でいっぱいだと思う。

でも就職するんだ。

やりがいは後から見つければいい。

 

そんなの嫌だって、私も最初は思った。

でも、どれだけの人が自分でビジネスを生み出せる?

研究職の人がいなかったらその製品は絶対に生み出せない。

それだって大きいビジネスじゃない?

 

みんながみんな、好きなことだけして生きていく人だったら

この世界は成り立たない気がする。

 

むしろ、好きなことして生きているように見せている人ほど

みんなが嫌がるような苦労を見えない所でしている気がする。

 

等身大の自分で勝負したい。

 

「大きな夢」って

誰でも持たなくちゃいけないものなのかな〜

 

って最近思う🌀

 

確かに大きな夢を持って、それに向かって頑張っている人はかっこいい。

 

でも、そうでない人だってたくさんいるはず。

 

それなのに、誰かに話す時とか就活の時は

大きな夢を語る人がほとんどだ。

 

 

他の人がどうかは知らないけど

私には大きい夢というより小さい夢がいくつかある。

 

大好きな人と結婚して子供を産みたい、

子供のお世話はちゃんと頑張りたい、

興味が湧く仕事をして安定した給料である程度自由な生活がしたい。

 

これじゃだめなの?

むしろ私と同じような人の方が多いんじゃないの?

 

キャリアプランとか言って、そんなの考えたことないよ。

だっていつ死ぬかなんてわからないじゃないか。

 

私は今を生きていたいんだーー!!笑

 

 

とか言って。笑

 

大きな夢は語れなくても、私は私だよなって思う。

大きくみせるより、等身大の自分の方が企業受けがいいんじゃないかと思い始めてる。

就活の悟りを開けそうです。(大して就活してない)

 

一周まわって研究職に就きたいと思った日

 

また思考が変わるかもしれないけど、

ようやく一周まわって研究職に興味があることに気付いた。

 

なんとなく、CROとかSEとかの企業を見ながら

私はきっと思考が一周まわって研究職に就くんだろうな、とは頭の片隅で思っていた。

 

でも、それが確信になるまで色んな企業を見て

色んな選択肢を考えようと思って、

最近はコンサルやSEの企業を見ていた。

 

 

Labbaseっていう、理系の企業が学生をスカウトするサイトに登録していて

あるSEの大手企業からのスカウトが来た。

 

大手だし、研究開発でバイオ系をやっていたから興味を持った。

もしかしたらSEとしてバイオに携われるかもって思った。

でも、人事の人に会う前にその企業を色々調べていたら

自分がSEより研究職の方が気になっていることに気付いてしまった。

 

質問したいことを考えると研究職に対する質問がたくさん出てきて、

自分でもびっくりした。

 

ここでやっと、私がSEより研究職に興味があることに気付いたのだ。

 

 

今日、ここまで思考がたどり着いた進捗報告をしようと教授の部屋のドアを叩いた。

 

一周まわって研究職がいいと気付いたと言った時、笑われた。

最初から教授は私は研究職だって感じていたのかもしれない。

 

はっきりと、「お前はSEじゃない」と言われた。

 

色々話す中で、ある研究職系の企業から推薦が来ていると教えてくれた。

就活の心構えと1月中にやるべきことを教えてくれた。

 

相変わらず教育熱心な熱い教授だった。

私の人生は人に恵まれた人生だと思う。

 

教授には話をしないと損すると思った。

もっと早く来いよって言われたけど。笑

 

ここまでくるとお父さんより「お父さん」で恥ずかしいんだよな〜

 

勉強ができる≠仕事ができる

 

自分を棚に上げて話すけど

勉強はできるのに仕事できない人、結構いる気がする。

 

頭がいい→気がきく→仕事ができる

と思っていたけど、

 

仕事はできないし、言われた言葉の意味をわかってない人が

少なくとも私の研究室に3人いて困る。

 

《1人目》

私の経験からすると、親から甘やかされて育った人に仕事ができない人が多い。

 

何をするにも親からああしなさいこうしなさいと言われて素直に従ってきたせいか

自分で意思決定ができないようだ。

 

後輩の女の子はまさにその典型で、

この研究室で何をしたいのか、なぜ大学院に行くのか、答えることができない。

 

自分で「私は人に言われた事しかできない」と言っていたのだから末期だ。

 

 

《2人目》

プライドが妙に高い後輩も仕事ができない。

 

私が「あの実験できたの?」と聞くと

真顔で「できました。」と言って、その後に「けど何か?」と付きそうなくらいに自信満々だ。

 

でも全然できていない。

 

それに、失敗したことに対して私が何か言うと言い訳が口からボンボン出てくる。

まず言うべきはそれじゃない。

 

 

《3人目》

3人目はわかっていないのにわかりましたと言うタイプ。

 

その場でわかっていないのに、「あ〜、わかりました」と言って

後で別の先輩に質問する。

 

別の先輩っていうところも少し嫌なところだ。

 

それにこの子はメモをしっかり取らないらしい。

「全部メモして」と言っても自分で勝手に取捨選択してしまう。

 

で、後から実験をしようとしてわからなくなる。

 

そりゃそうだ。

 

 

 

なぜうちの研究室にこんな人がたくさんいるのか、頭を悩まされる。

 

3人共、勉強はちゃんとできて頭もいいはずなのに

もうむしろ、なぜ勉強ができるのか理解できないほど仕事ができない。

 

人は簡単には変えられないから、もうこの子たちを教育したって変わりはしないと思うけど

将来が心配になる。お節介だと思うけど。

 

 

就職先にはこんな人が多いところに絶対に行かないぞと思っている。

もう懲り懲りだ。

 

パンを買うゾンビ🥐

 

クレジットカードの請求が5万円で

節約したいはずなのに今日もパンを2つ買った。

 

DEAN&DELUCAのパンはいつもかわいくていい匂いがして買ってしまう。

 

ごつごつしたスコーンとてかてかのマフィン。

見た目からわかる高カロリー。

そんなの気にしない。だって明日の朝ごはんだし。

朝なら甘いものを食べてもいいっていうマイルール。

 

ストレスが溜まると何か買いたくなるのは私だけじゃないはず。

そういう時に物を買ってしまうと後で後悔することが多いからパンを買うのだ。

 

毎日同じ味がするグラノーラをかわいいパンに変えれば、明日はいい一日になる。きっと。

 

 

この前誰かが言ってた

ゾンビが怖いのは見た目じゃなくて、何度やつけても襲ってくるところらしい。

 

私も明日から蘇ってまた襲いにいく。

就活ゾンビになってやる。

 

テレビを見ながら要約する家族

 

テレビを観ながら↓

 

👵「あの子がこうでね、それでこうだったんだって」

👩「・・・。」

 

テレビの要約をし始めるおばあちゃん。

 

いや、私も観てたから内容わかってるよ。笑

 

というか、たまに勘違いしてる時あるし。

私はどんなリアクションをとればいいの?

 

 

ほかにも、

 

👵「ここにサラダあるよ」

👩「うん。」

 

とか。

サラダあるの知ってるんだけどな〜笑

 

 

そんなおばあちゃんの子供の母親は今日、

 

🧒「これば豚でこれはコロッケだよ」

 

遺伝か。笑

 

 

母親の場合は最後に

🧒「聞いてんの?怒」

っていういらない言葉が入ってたけどね。笑

 

聞いてないでーす。

 

私が宿題をやらなかった理由

 

宿題の価値は人それぞれ、場合それぞれである。

 

学力が上がる時もあれば

時間が無駄になる時もある。

 

私は中学生の時、塾の宿題は有益で

学校の宿題は無益だと勝手に考えていた。(何様😅)

 

学校が出す、毎日の漢字ノート1ページと英単語ノート1ページ。

なんという無駄な時間だ、と思っていた。

 

「宿題のために書く」という所が一番理解できなかった。

「覚えるために書く」なら私が覚えたい時に書く。(というか覚える時はそんなに何回も書かない)

宿題ではなく小テストとして単語を出してくれた方がよっぽどためになると思っていた。

 

毎日たまる漢字ノート1ページと英単語ノート1ページ。

最終的に3桁を超えたっけ(ひねくれ者)笑

 

 

でも塾の宿題だけはちゃんとやっていた。

尊敬する受験のプロの先生がクラス別に出した、自分に最適な宿題をやらない訳にはいかない。

 

塾の先生には本当に恵まれた中学時代だった。(サナル予備校です。こんなに「教育」熱心な塾は他にないと思う。)

私が勉強が好きになったのも勉強をがんばれたのも塾の先生のおかげだった。

 

中学生になってからは親に「宿題やりなさい」とも「勉強しなさい」とも言われなかったから

私のもう一人の親のような存在で

今でも尊敬している。

 

憧れていたから塾のアルバイトを始めたのだ。笑

 

 

今日は自分が生徒に対して適切な宿題を出せているか考えた。

中学生の時の私はあんなに上から目線で宿題に対して意見を持っていたのに

他人のこととなるとその子に何が適切なのかわからなくなる。

 

宿題なんてなくても自分で勉強してほしいな、とか思ってしまったりする。笑

 

幸いにも過去の私みたいにひねくれている生徒は少なくて

宿題はちゃんとやってくれる子が多いけど

そうだからこそ宿題の内容をしっかり考えなくてはならないな、と思う。

 

適切な宿題って難しい😇