私が宿題をやらなかった理由
宿題の価値は人それぞれ、場合それぞれである。
学力が上がる時もあれば
時間が無駄になる時もある。
私は中学生の時、塾の宿題は有益で
学校の宿題は無益だと勝手に考えていた。(何様😅)
学校が出す、毎日の漢字ノート1ページと英単語ノート1ページ。
なんという無駄な時間だ、と思っていた。
「宿題のために書く」という所が一番理解できなかった。
「覚えるために書く」なら私が覚えたい時に書く。(というか覚える時はそんなに何回も書かない)
宿題ではなく小テストとして単語を出してくれた方がよっぽどためになると思っていた。
毎日たまる漢字ノート1ページと英単語ノート1ページ。
最終的に3桁を超えたっけ(ひねくれ者)笑
でも塾の宿題だけはちゃんとやっていた。
尊敬する受験のプロの先生がクラス別に出した、自分に最適な宿題をやらない訳にはいかない。
塾の先生には本当に恵まれた中学時代だった。(サナル予備校です。こんなに「教育」熱心な塾は他にないと思う。)
私が勉強が好きになったのも勉強をがんばれたのも塾の先生のおかげだった。
中学生になってからは親に「宿題やりなさい」とも「勉強しなさい」とも言われなかったから
私のもう一人の親のような存在で
今でも尊敬している。
憧れていたから塾のアルバイトを始めたのだ。笑
今日は自分が生徒に対して適切な宿題を出せているか考えた。
中学生の時の私はあんなに上から目線で宿題に対して意見を持っていたのに
他人のこととなるとその子に何が適切なのかわからなくなる。
宿題なんてなくても自分で勉強してほしいな、とか思ってしまったりする。笑
幸いにも過去の私みたいにひねくれている生徒は少なくて
宿題はちゃんとやってくれる子が多いけど
そうだからこそ宿題の内容をしっかり考えなくてはならないな、と思う。
適切な宿題って難しい😇