生活感。

後で読み返すと恥ずかしくなるような日記です。

やりたいことがバラバラ

 

少しでも興味を持った物は挑戦してみる、みたいな

そういう精神で生きてきたけど、それがよかったのか悪かったのかわからなくなった。

 

やりたいこととか将来の自分の像とか割とはっきりしている方だと思ったけど、

就職活動で見ている業界は3つ(研究職、SE、塾講師)もあって、面接にたくさん落ちていく中で妥協してしまったり考え方が変わったりして、コロコロと私がやりたいこととか将来像が変わっていた。さっきそのことに気付いた。

 

きっと傍から見たらいったい何がやりたいのかわからないし、今後もコロコロ変わっていくと思われると思うけれど、私は私なりにその時の考えで動いていて、筋は通っていると思っていた。

 

でも、テラスハウスでも問題になっていたように、「何でもやる」は良くないんだろうな。

何か一つのことに集中した方が認められるし、中途半端な気持ちで臨んでいると思われるし、実際中途半端になっているのかもしれない。

 

 

最初は研究職を目指していたけれど、毎日夜遅くまで実験しても成果がでなくて、学会発表もしたかったのにいつの間にか夢のまた夢みたいな話になっていた。大した努力もせずにテーマが良くて学会発表できる人を恨んだ。私だって異動前の研究室だったら先輩のテーマを引き継いで学会に参加する予定だった。

 

そのせいもあって研究職の面接で研究内容を自信を持って発表できなかったり、論文も人並みにしか読んでこなかったから何かに一番知識がある自信もない。

たぶん、興味を失ってしまったんだと思う。

 

医療に携わりたくて研究職を目指していたけれど、面接を受けたりする中で向いていないかもしれないと思った私は違う方法で医療に携わろうと思って、ICTに興味を持った。

ICTならコンサルタントとして研究よりも人に近い距離で働くことができるし、技術を身につけることで自分に自信を持つことができると思った。

 

人に近い距離で働きたい気持ちが実は私の中にはあった。それは小学生と中学生の頃に通っていた塾の先生に憧れる気持ちがあったから。私はかれこれ小学5年生の頃から将来の自分の像はぶれていない。私はその塾の先生みたいな人になりたい。

 

そう考えると塾の先生になることも一つの選択肢になった。一番私のなりたい自分になれる職業であり、一番自分から距離のある職業である。私は本当に克服したいけれど、基本的に集団の前で話すのが苦手だ。

 

こんな感じでそれぞれの軸はあるようなないような。やりたいことが一つ一つ離れてしまっていて困る。どれも中途半端になっている気がする。

 

今まで何事も真面目に取り組んできたと思っていたけれど、本性は飽き性ですぐに逃げたくて、ある程度できれば満足してしまう探究心のない人間なんだと思う。

こんなんじゃどこの企業に行っても成果なんて出せないさ。

 

いつになったら私が本当に没頭できるものが見つかるのか。それがどの業界に進んだら見つかるのか。先にわかったら苦労なんてしないのに。